スーパーマリオサンシャイン


ずっと、GCのマリオをやってました。
ロクヨンの頃は新しいのを買ってくるたびにゲームのデモを30分くらいだた眺めて「……すげえ、……すげえ」とその3Dの表現力に圧倒されていたものでしたが、今となってはもうそんなのあたりまえになってしまって、デモとか見てもなんとも思わなくなってしまいました。というかGCのデモはロクヨンに負けています。ワンパターンなので見てても面白くもなんともないです。メディアがディスクだとああするしかないのかもしれないけど、はじめてルイージマンションのデモを見たときは凄くショックでした。「え、デモってこのパターンだけ?」
たとえば、ロクヨンの頃のWAVERACEのデモ(ロゴが出てくる方)は良く出来ていて、2人が同じコースを走るんですが毎回走るメンバー(組み合わせ)が違うわけです。なので走りも違う。毎回コンピュータが考えて走っています。だから岩礁を潜り抜ける時のタイミングとか微妙なコーナリングとかが毎回違う。だから見ていてあきないんですね。ああいう良く出来たデモはもうGCでは見られないのでしょうか。
で、マリオですが、ゲームとしての規模はロクヨン時にくらべ小さくなってます。これはGC任天堂製ゲームすべてにいえることなので(かつあえてそうしていると思われるため〔というかロクヨンの頃が単にゲームバブル絶頂期だった気もするわけですが〕)これに関してはとやかく言うつもりもないですが、ゲームとしての出来を比べてもやっぱりロクヨン時の方が良く出来てたと思います。今回のはゲームが分断されすぎです(かつロクヨン時に比べ「一つのエリアでのシナリオは順番に解いていかないと先に進めない」というように流れが一方通行な気がしますがこれは裏がまだ取れてないので保留)。分業体制を想像せざるを得ないようなゲームのつくりになっています。それはそれでしょうがないのかもしれないけど、個人的には嫌です。「我々はこのような体制でゲームをつくりました。ですのでゲームの内容もそれに沿ったものになっています」「見てくださいオブジェクト指向です。この面とこの面には相互関係が一切ありません。完全に独立した面となっています」なんて嫌ですよ。気持ちはわかりますが。
ただ、コンピュータプログラムとしてみた時のマリオは本当に素晴らしいと思います。
ゲームとしての出来も素晴らしいと思います。
でも以前あったもの、これができる過程にあったものをなまじ見てしまっているので、いろいろ思わざるを得ません。ただ、あのバブリーな頃のゲーム作りにもどって欲しいとも思いません。
ゲームを作る任天堂の姿勢はまともな方向に進化してると思います。マリオでは採用されてませんが、ゲーム時間を細切れにし長時間ゲームを続けさせないための流れの工夫とか、全体の内容の規模の縮小とか。それにはただただ感嘆するほかないのですが。……


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