地震のあった日

3月11日 午後に起きた地震の時、私は神奈川県川崎周辺にある職場にいた。その職場は高層ビルになっており(20F以上30F未満)、私の居た階は最も高い階層に近かったため、揺れが酷かった(人の座っていない椅子が、ガラガラ、ガラガラと動いていた)。ビル自体は耐震構造とのことで特に大きな被害はなかったが、揺れがなかなか収まらず、地震が収まった後も、円を描くようにぐるーんぐるーんと大きく揺れ続けるので、いつぽっきり折れるかと冷や冷やしながら揺れが収まるのを待った。また、地震直後の停電により、業務続行不可となった。バッテリのあるノートPCは電気がついたままだったが、デスクトップPCやサーバ系が軒並み停止し、できることがなくなってしまった。仕方ないので暗いフロアの中、しばらくみんなでワンセグを見たりしていたが、やがて徒歩で帰れる近辺住人の人への帰宅許可が出た。電車で2,3駅の人たちがどんどん帰り始めるが、帰れずに残っている人も多かった。私自身は片道1時間40分くらいかけて電車で通っており、もちろん電車は動いていないので帰れない。電車(JR南武線)の復旧の見込みは立っていないという。
でも私は帰りたいと思っていた。土曜の午前中にちょっとした用事があったというのもあるのだが、それより今現在の街の状況を歩いて見て廻りたかった。
それからしばらくして、別のフロアで作業していた人が戻ってきた。そのうちの一人は私と同じ市内に住む人だったのだが「や、歩いて帰りますよ。そのうち電車も動くでしょう」とあっさり言って、さっさと帰ってしまった。それを見て、帰れないと思いこんでいた私の気持ちが揺らぎ始めた。陽は落ち始めている。電車はこの後動くかもしれないし、動かないかもしれない。職場を出るなら早いに越したことはない。
18:00過ぎ、私は職場を後にした。既に陽は落ちており、電気の供給されない街は闇に包まれつつある。歩いている人は多い。まずは2つある最寄り駅の、遠い方へと向かって歩き始める。


○○○○駅到着。改札は封鎖されていて、電車が動いていない旨アナウンスが流れている。その場で佇む人多数。とりあえず線路沿いの道を歩き始める。同じ事を考えている人は多く、その流れについて行くだけで良い感じ。


電灯のついていない暗い道を歩き続ける。車通りの多い道の歩道ではまだなんとか向こうから来る人が視認できるが、そうでない道では直前にならないと向こうから来る人が認識できない。単に私の目が鳥目に近い状態なのかも知れないが、足元も全く見えないので、歩いているだけでかなり恐い。躓いたら確実に前後の人を巻き込んでしまうだろう。


電気がついていないのに、何故か販売しているコンビニを見つける。店内にはレジ待ちの行列が出来ており、どうやって動かしているのかわからないが(電池?)、1つのレジに2人がかりで店員さんが必死に対応していた。私も何か買おうと思ったが、時間がかかりそうなのと、今必要なものが特になかったのでとりあえずその場を後にした。


電気のついている街にたどり着く。飯屋(餃子系)がやっていて大変な賑わい。ケーキ屋もあり、ケーキを買っている人がいる。ここは停電しなかったのか? しばらく明るい区域が続く。「街灯がついているだけでこんなに安心できるものなんだと」、明かりのありがたさを再認識する。


再び停電区域へ。足元が全く見えず、転びそうで恐い。常に前後に歩いている人がいる状態で、かつ高架線路がずっと視界に入っている為、道に迷う心配はない。


また電気の通っている区域に入る。しばらく歩くと武蔵溝ノ口駅に出た。この時の時間が、19:30頃。改札付近で電車の復旧の見込みがないのを確認し、とりあえず飯にしようとあたりをうろつくが、飯屋がない。1件見つけたが混んでいたのであきらめ、近くのドラッグストアでカロリーメイト系の食料を3つほど確保。飲み物(500mlのペットボトル入りスポーツドリンク)も買う。


武蔵溝ノ口駅にもどって改札付近の壁にもたれて休んでいると(ベンチ的なものがなかった)、「本日の運行は休止いたします」とのアナウンスが流れる。つまり今日はいくら待っても電車は動かないことが判明した。よって、どこかで宿を求めるか、歩き続けて帰るしかない。もしくはある程度歩いてから、タクシーに乗るという手もあるだろう。とにかく電車が当てにならないことが確定したので、駅の地図を見てある程度の道の見当をつけ、再び歩き始める。


しばらく暗い道を歩き続けると、右手に山のような影が見え始める。すれ違うバスも聞いたことのない地名行きのものばかり。嫌な予感しかしない。生きているコンビニを見つけたので地図を立ち読みし現在地を確認する。すると、私が選んだ道は、最初の方こそ沿って歩きたい路線に寄り添っているが、やがて大きく進行方向が逸れていき、全く期待外の場所に通じる道になっていた。いったん戻ることをまず考えたが、この先でうまく軌道修正できないか調べてみたところ、すこし先まで歩いてから右折すれば、正しいルートへ接続できることが判明。その線で歩くことにする。


一山越えて府中街道へ接続。あとはこれを辿っていけば、所沢まで辿り着ける模様。この時点で、20:40くらい。ここからあとはコンビニで現在地を確認しながら、ひたすら府中街道を歩く。


途中、何故か歩いている道が川崎街道になっていて焦ったが、矢野口ー南多摩付近の道路だけ川崎街道に差し代わり、その先が再び府中街道になっていることをコンビニの地図で確認し安堵する(コンビニ様々である)。しかし、府中街道を歩いているにもかかわらず、府中にはなかなか辿り着かない。既に足はかなり厳しい状態になってきており、何時つってもおかしくないような感じ。おそらく歩くペースがどんどん落ちているのだろう。どこかで宿をとるべきか、とるならどこにすべきかを考えながら歩く。この時は、とりあえず府中まではたどり着きたいと思っていた。


このあたりだったがどうか失念したが、電車が止まっていて通れない踏切があった。交通整理の人が「すこし先に別の踏切があるので、そちらから迂回してください」と説明してくれる。道に迷いたくないので迂回とかしたくなかったが、仕方ないので迂回する。そういえば、しばらく前に電車も動いていないのに封鎖されている踏切があって、通行人とガードマンがもめていたのを思い出す。「電車動いてないんだから渡ったっていいでしょうが!」「そういって渡ったときに事故になったケースがありまして、申し訳ないのですがお通しできないんです」こんな感じのやりとりだった。


大きな橋で多摩川を渡る。橋の向こうは是政である。是政は母の実家がかつてあった場所なのでなじみ深い場所だ。勝手を知っている場所というのは落ち着くものである。なつかしい道を歩きながら府中本町を通り過ぎ、その先へ向かう。この辺りで既に0時を廻っていたと思う。松屋で学生風の女子が4人くらいで飯を食っているのを見かける。私のように歩いている人はいなくはないが、かなり減った。ネカフェのようなものが見あたらず、もうこのまま歩いて帰るか、途中でタクシーを拾おうという気になっていた。ただし、見かけるタクシーは「割増料金」表示のものばかり。まあわからなくはないが、見る度に気分が悪くなる。


延々と府中街道を北上する。西武線のような電車をなんどか見かける。でもあまり聞いたことのない路線(私が無知なだけだが。ちなみにその一つは西武多摩湖線だった)。電信柱の地区表示板?に知っている地名が出てくるが、土地勘がないので、「なんで○○の次に○○が出てくるの!?」という感じでかなり混乱しながら歩いていた。また、足が限界に近づいていたので、歩道のそばで座れる場所を探し、座ってしばらくモンハンをする(何かしてないと、寒さと足の痛さで気が滅入るので)。何故か府中街道はこの夜中だというのに渋滞しており、車の中から私を見た人は、いったいコイツ夜中に何やってんだろうと思ったことだろう。ちなみにこの時点で 2:00前後くらいだったと思う。


久米川町交差点に到着。行き先案内板?を見ると、左折で所沢となっている。そういえば確かコンビニで見た地図でこの辺で左折だったような気がしたので、とりあえず左折する。どちらにせよ、所沢近辺まで来ているので、間違っても大事にはならないだろうという判断。ゆるやかな長い坂道を(頭の中で)歌を歌いながら上る。


無事、所沢駅到着。この時点で、3:15くらい。なんと電車が動いており、駅に人が結構いる。改札を通り、自宅方面行きの電車を待ちながらモンハン。黒ティガと青いガンキンさんのクエでティガをなんとか倒した辺りで電車来る(結構待った)。2駅乗って、降りると、もう足がほとんど動かない。かなりおかしな挙動で歩きながら、ホームのエスカレータに乗る(普段は基本的に登りのエスカレータを使わないのだが、この時ばかりは上り階段は無理だった)。改札を抜け、手すりにつかまりながらヨチヨチ階段を下りる(手すりがなければ、階段を下りれなかった)。何か買っていこうかと思ったが、駅ビルの西友は「地震のため」営業停止中だった。それでもおなかが空いていたので、近くのコンビニでオニギリ二個を買った。コンビニを出て、ヨチヨチ歩きながらアパートへと向かう。駅から家までは歩いて10分くらいだが、おそらく倍はかかったと思う。足がもうほとんどダメになっていたので「今襲われたら絶対抵抗できないな」とか思いながら帰った。


アパートに着いたのは、4時前。それからオニギリを食べ、風呂に入って足をマッサージし、5時過ぎにはもう寝てしまった。が、ずっと浅い眠りのまま、夢を見ていた気がする。9時前に運送屋さんのノックで起こされる。実はこれの為にわざわざ夜通し歩いて帰ってきたのだ。届いたのはamazonの箱。その箱に何が入っていたかは、残念ながらここに書くことができない。俺の妹がどうとか、決してそんなものではないことだけ、ここに記しておこう。


被災地の皆さんのご無事をお祈りいたします。