実家にて2 ドライブ


時間が空いたら今日は海の方にでも自転車で行ってみようかと思っていたら、親父がドライブに行くかと言い出したので、親父と二人車に乗る。どこへ行くのか訪ねると、まずは新しくできた工業団地とのこと。工業団地?
着いた場所は山の中を切り開いて作った広い敷地にいくつかの工場みたいのが集まっているという場所だった。敷地の外れにある小さな駐車場で降り、歩いていく親父。親父は暗に俺にここで働けと言ってるんだろうかとか考えながら建物を見ていると、親父の足は工業団地の敷地を離れ整地されていない草地の方へ。親父について草地に入る。
草地、というか草が刈られて大型トラック一台が通れそうなくらいの道ができている。この道は、親父たちが手で草を刈って作ったそうな。湿地を横目に草刈りの道は山の奥へと続き、緩やかなカーブを描いた先には小さなプレハブの小屋と「上総堀り」のやぐらが立っていた。聞くと、ここは県が「自然を極力そのままの状態で残すことを条件に、好きに使っていいよ」と市に貸し出した土地らしい。そこで市が広報誌等を使って有志(ボランティア)を募り、毎月何度か作業日を決め、のんびり自然公園的なもの?を作ってるのだそうだ。周辺の山にはすでに手が入っていて、よくある山の遊歩道みたいなものができていた(そういうのも全部自分たちの手でやっているらしい。丸太を左右に打ち込んで横に渡して階段を作って……みたいな)。
また「上総堀り」は名前の通り上総地方の井戸の堀り方で、去年袖ヶ浦公園で見た「上総堀り」のやぐらと同じような本格的なものが組んであった。どれくらい彫るのか知らないが、3m強の太い塩ビのパイプが横に何十本と並べてあり、最終的にはこれが全部地面に埋まるのだという。ボーリングに関しては私は地質調査の助手をやったことがあるので、だいたいどういう行程で彫っていくのかイメージできる。私が助手をやっていた時の掘り方では、鉄パイプの先に固い歯を付け、パイプをドリルのように回転させながらゆっくり人の手で下へ重圧をかけて彫り進んでいく。粘りけのある水を電動ポンプでパイプの内側から穴の先端へと送り、パイプの外側に廻して掘った穴の表面を固めるのと同時に掘った土くずを地表まで浮き上がらせる(浮き上がってきた土は助手の私がせっせと掬う)。掘れたらまたパイプを繋いでさらに深いところを掘っていく、みたいな感じだった。上総堀りでもネバミズというのを使うようだけど、これは単に掘った穴の表面が崩れないよう固めるのに使うようだ。それ以外の行程は今のボーリング工法とだいたい似ているような気がする。
横にある湿地には蛍とかもはなして、夏には蛍が飛ぶようなところにしたいらしい。親父もまた面白そうなものに手を出したなあとちょっとうらやましくなった。


その後、工業団地を離れて親父の車が向かった先は、なんか農家の人に借りているという畑だった。なんでも「ただでいいから使ってくれ」と言われたので利用させてもらってるのだそうだ。耕耘機なんかも借りて結構広い土地を自由に使っているらしい。それでも使い切れないので、時期ごとに植える場所を切り替えて、順番に使い廻したりしてるんだそうな。しかし、なんとパワフルなことか。休みの日は家でほとんど寝てるだけの私とは大違いだ。


その後、親父の車が向かった先は、なんと袖ヶ浦公園だった。うちら親子はどんだけ袖ヶ浦公園好きなんだよと思ったが、まあ好きですね。子供の頃よく親父に連れて行ってもらった場所でもあるので、なじみ深いといえばなじみ深い。公園でなかったころから知っている場所なので、幼馴染み的な場所でもある。駐車場に車を止め、自販機のある建物で紙コップのコーヒーを買って、外にあるなんだか座りにくい椅子の着いたテーブルについてのんびりとコーヒーを飲む。見渡すと、家族連れとか結構来ている。その後、池のカモとか眺めたりしてから、車に戻って出発。


それからは、私の通った高校の前を通り、私が通った小学校の前を通り(おそらく親父は気を利かせてあえてそれらの学校のそばを通っている)、線路を渡って海の方へと向かう。その途中、突然あぜ道のような道に入って田んぼの中を突き進みながら、川にかかった小さな橋の手前に親父は車をつけた。なんでも浮戸川の鯉が増えているとかで、それを私に見せたかったらしい。が、潮のせいか(引き潮だった)魚影はまったく見られなかった。満ち潮のときだと、それこそうじゃうじゃいるのだそうな。これはちょっと残念。


父の車はその後、埋め立て地へと向かう。父は昔から私と妹を連れて埋め立て地へやってきては、堤防とテトラポットフナムシしかいなかった海岸沿いを散歩した。そんな埋め立て地のある一角に海浜公園的なものができたらしい。着いてみると、確かに以前は寂れた感じで糸のついた釣り針や、錆びきった空き缶や、干からびた子アジとかが転がっている以外は何もなかった場所がきれいに整地され、シュロの木?が道沿いに何本も植えられて、小さな展望台なんかも建てられていた。そばには風力発電用と思われるでかい風車(オランダにあるようなやつじゃなくて今風のハイテクぽい細い羽根のやつ)まであった。展望台に登って海の向こうを眺めると、正月だからだろうか、川崎や東京の方のビル群がはっきりと見えた。


親父の車はその後家路をたどる。が、昔は海からの帰りにはまず通らなかった細い道を通って帰った。おそらくそれも、父なりの私へのサービスなのだろう。もう何年も通っていない道を私に廻って見せてくれていたのだと思う。