自己観察


ある人の作るものや日記とかを読みながら、自分のつくってきたものと比較してしみじみ思ったことなのですが、私の作るものは人とのインタラクションをほとんど許してないですね。規定の動作で、勝手に動くようにできている。それはそのまま私の性向でもあって、たとえば、音楽プレーヤとか、私はいちいち曲順を設定したくはないです。好きな曲を1つのフォルダ(1枚のCDでも良い)に放り込んでおいて、「これ、鳴らして。順序は適当で良いよ。君に任せる」と頼めばあとは勝手に鳴らしつづけてくれる、みたいなのが良いわけです。デモとかでも、勝手にどんどん切り替わっていくiTunes系のものが良いわけです。虹蛍程度の規模のものでも延々と飽きずに眺めていることができます。勝手にどんどん変化していくものが好きです。橋の上からそこそこの透明度のある川の流れを見下ろすのも好きです。
閉じている世界が好きなのかも知れません。こどもの頃だったら、橋の上から魚影に向かって石を投げたかもしれないけど、今はそれはしません。ただじっと眺めます。石は投げたくない。そこに既にある世界に介入したくないんですね。介入するのは怖い。
介入するのが怖いのは、それがきっかけで、何か取り返しがつかないようなことが起こったらどうしようとか考えるからです。どうしてそういう方向に考えるのかはよくわからないのですが(あるいは気づきたくないだけかもしれませんが)、とにかくそういうふうに考えてしまいます。なので怖い。だから、何もできない。こんな傾向が年をとるごとにひどくなっていっている気がします。最近はもうほとんど病的なくらい。
コミュニケーションが嫌いなわけではないです。息の合ったボケとつっこみで馬鹿話をするのとかはすごく好きです。でも考えてみるとそれは約束事が支配する閉じた世界でのコミュニケーションなわけで、やはり閉じている世界が好きなのかも知れません。というか閉じてない世界が怖いんですね。次にどう出るかわからない相手に向かって何かをするというのはやはり怖くて手が出せない。逆に相手からアクションを起こしてもらうぶんには問題ない気がします。そういうのには割と対応できている気がする。


……わかった。自分で書いててわかったよ。馬鹿みたいだけど。
俺って子供なんだ。どうしようもないくらい。どうしよう。
どうにかしよう。




※追記:どうにかできた気はしません(2014.03現在)